2022-10-26
・早めに日記を書く試み。
・今日はひさしぶりの友人とおしゃべりしたよ!
・友人、推しにお金を使いたいから倹約してる…と言っていた。頼もしいね。ヲタク大好き。
・最近どの友人にも推しの話をしている。あーあ。
・本当は好きな人間たち全員と永遠にたくさんおしゃべりしたいんだけど、気質的にあんまり自分から誘えないね…。よくないね。
・いろんな友人に夏ぶりに会うから、みんなの進路が確定したことをお祝いするここ数日です。みんな一生懸命でほんとうにすごい。大学院に行く決心をするひとたち、ほんとうに尊敬する。でも全員「これで卒論を絶対に出さないといけなくなった…」って言ってる。おもしろい。本当にそう。
・本当に卒業できるんですかね?今日卒業式で着るための袴とか見てたんですが、本当に??
・わたしが頑張るしかないのだが…。
・日頃から、オタクと推しの関係性について自責の念も込めて考えがちなんですが、この記事(有料だから全文読めていませんが…)が興味深かったです。
「公演の内容を見るより、スターに会いにいき、スターとの関係性を確認する場になっている。推し活によって、より明確になっています」「どうにかして、この傾向にレジスト(抵抗)したい。あまり健全とは思えない、人間関係の消費というコンテンツをつくるために生きていきたくないから」 https://t.co/xEbSSuTeR7
— 桜井圭介 (@sakuraikeisuke) 2022年10月24日
・この記事について、リアル知人が「宝塚という過剰なスターシステム」について説明していて、ああ、と思った。きっと普通のアイドルとか俳優とかと同列で考えてはいけないのだなと思う。そのことを踏まえていないツイートがたくさん賛同を集めていたりするね。
・この記事における「推し」は宝塚スターのことを指している、ということを踏まえたうえでも、詩人の最果タヒさんのツイートが興味深かった。
スターは職業なんですよね。そういう仕事。存在そのものをファンタジーにして、人の「好き」を自由に解放する仕事。リアルな人間として見ていないことへの申し訳なさはあるけど、でもそれを踏み躙る行為だと恥じることは彼女たちに申し訳ないからしたくないし、消費という言葉には違うって言いたくなる
— 最果タヒ(Tahi Saihate) (@tt_ss) 2022年10月24日
みんなプロとしてそれをやってる。リアルな人として見ようとしなくてごめんとかそんなのむしろ失礼だと思っている。夢を夢として受け止めて、その「スター」としての顔を好きになって、そして彼女たちにとってそれが「仕事」であることを最大限に尊重することこそが礼儀だって私は思っている。
— 最果タヒ(Tahi Saihate) (@tt_ss) 2022年10月24日
好きだから好かれたいとか、独占したいとかそういう「関係性に昇華したくなる欲」から「好き」を解放してくれる仕事だ。一方通行的に好きでいる、それだけで愛情が完結する幸せをくれる仕事。とてつもない仕事だと思う。
— 最果タヒ(Tahi Saihate) (@tt_ss) 2022年10月24日
・なるほどな~と思う。この「スター」を、アイドルとかVTuberとか、推される本人たちもある程度「スター」対「それを応援するオタク」の図を想定している場合なら納得できる。わたしにもアイドルの推しがいるけれど、全力でアイドルしている推しはかっこいいし、「アイドル」という職業をまっとうしようとしている姿そのものを応援したくなる気持ちはすごくわかる。
・一方で、「自分はスターである」ことを自覚しないような立場にある人たちを、上記の「推し」対「オタク」の構図に当てはめてしまうことに対して、ずっと苦々しく感じている。本来推されるような立場じゃないのに、程度の差はあれど、質としてはアイドルを愛好する時と似た感情を抱いてしまうことに対する申し訳なさ…。
・最果さんの言うような「スター」は、あるいは一般的な意味で「推される」対象になり得る立場とは、どこからどこまでなんだろうか。アイドルも、俳優も、スポーツ選手も、バンドマンも、作家も、お笑い芸人も、みんなわたしにとっては「スター」なんだけど…。
・ということを、ずっと考えています。自意識が気持ち悪いな~と思うけれど、案外みんな似たような悩みを持っているんじゃない?!とも思っています。でも全然ツイッターとかでこの話題をみかけない。アイドルでもなんでもない活動者を「推す」ことについて…。
・推しとオタクについてしゃべったらもう1900字になってしまった。
・入浴、スキンなどのケア、卒論(文献を参照する)、明日の勉強、早く寝る!